信濃川水系
清津川
石原川
釜川
中津川
志久見川
志久見川源流部
釣行記トップ
ホーム
旧八箇隧道
4-12
日曜日
道路はムイカスノーリゾート(旧六日町ミナミスキー場)で封鎖されている。ここから道路を徒歩で進む。人も車も通らないスノーシェードを歩くのは何とも乙な気分だ。
スノーシェードを出てまもなく魚沼スカイライン(田沢小栗線)がみえる。残雪もなく草もまだ生えていないので斜面をショートカットし、スカイラインを歩く。
旧八箇峠への道はこの通り、とても分かりにくい。でも分け入ってみると、確かにその痕跡がある。
すぐ先に青空が見える。道は左にカーブしていて、視界が開ける。
まるで人の手の入っていない道は灌木が生い茂っている。草が生えていないだけ、まだ歩ける。ここから見通す限り道は続いている。この下の谷は庄ノ又川の細い支流がある。見通すと国道
253
、八箇峠道路がわずかに見える。
朽ちた倒木を跨ごうとしたときに橙色のモノが目に入った。
「エノキダケだ!」
他愛なく喜んでしまった。状態はイマイチだがこの春二回目。汁物にしよう。
この先は崩落地。道はとぎれとぎれとなる。斜面をきわどく抜けるが、足を滑らせれば数十メートルの谷に転落する。引き返そうかとも思ったが、今までの自分の釣行の経験から行けると判断した。
かなりの残雪がいまだ残っている。陽が差さないせいだろう。多くの動物の足跡がある。
あたりまえだろうが、人の痕跡はない。魚沼スカイライン(田沢小栗線)を歩いていると、うんざりするほどの不法投棄が目についた。でもさすがにこんなところにごみを捨てに来る人はなさそうだ。
鉄の棒がたっている。標識の跡だろう。ガードケーブルの支柱跡もあった。かつてはクルマの往来があった道路だったと分かる。
トンネルの入り口が見えてきた。
5
年前の秋、十日町方面からこの近くまで来たことがある。踏破したかったが、葦の藪があまりにひどかったので断念した。雪が消えた後なら行けるだろうと春に訪れてみたのだ。
見覚えのある所まで来た。葦に囲まれながらこの沢を見てその先をあきらめたのだ。もしあの時強引に進んでいたら遭難したかもしれない。
それにしてもこの道路が利用されなくなったのはいつからだろう。調べていくと、どうにかそれらしい情報を見つけた。
明治時代に開通したのが初代・八箇隧道で、その後車が通れるように近代的に整備されたのがこの道路だというのだ。
ネットで頂いた画像。
そして昭和
43
(
1968
)年に開通したのが旧・八箇トンネル(ほくほく街道)とのこと。僕がずいぶん小さいころだ。記憶がなくて当然か。
日を改め、十日町方面から歩いた。
5-03
日曜日
連休初日。予定通り旧八箇峠を行った。
けっこう人が多い。ほくほく街道・八箇トンネル手前の初代八箇峠の入り口にはすでに白いバンが停まっていた。
朝というのに暑い。Tシャツでよかろう!
路は荒れているが、すでに人の足跡が多い。下草の踏まれた跡をいくと、ご夫婦と思われる二人連れと行きあった。「おはようございます」といって先を行く。
この時期なのに山のサクラはいまだ勢いがある。
荒れているようでも一応整備はされているようである。
5
年前の秋にここを歩いたときは、もっと道が良かったように記憶している。
その秋の散策の時、このヒラタケを袋一杯に採取したんだった。
当然その時の枯れ木はもうない。それらしい痕跡があるのみである。
山菜採りしながら路を歩き進む。これはキヨタキシダ。
毎年これを見つけると持ち帰る。
アブラコゴミという別名があるが、この辺でアブラコゴミというとアカコゴミをさすのでこのあたりの人はこれを利用する人はあまりいない。ややこしいのはアカコゴミで検索するとこのキヨタキシダがヒットする。
この地方で言うアカコゴミとキヨタキシダは見た目は全然違う。これらが同じものなのか別物なのか、僕にもわからない。
ちなみにこれがここいらで言うアブラコゴミ。シオデと同じところでよくとれる。
また
3
人組の人と行き会う。
「ひとりですか、すごい」
と声をかけられた。そうかな?思いのほか、人気のコースなのかもしれない。
まもなく旧八箇隧道入り口についた。
「この旧八箇隧道は明治時代に完成し、旧八箇隧道は昭和
29
(
1954
)年に改築された後、昭和
43
(
1968
)年に現・八箇トンネルの開通によって廃道となる。」
トンネル前は少し広くなっている。そこでこんなものを見つけた。
オオナルコユリだ。これに似た毒草があるというので手を出さなかったが、今思えば持ち帰ってから調べても良かったな。
八箇隧道入り口プレート
トンネル内。
落書き。
出てすぐ次のトンネルがある。桝形隧道とプレートにはある。トンネルが桝形なのではなく、近くの山が桝形山だからだろう。
わかりにくいが中より若干右、茶色い塊はトンネル内の住人たち。イエコウモリより少し大きい。キクガシラコウモリと思われる。足元の柔らかい土は彼らの排泄物と思われる。
桝形隧道出口。コンクリートが崩落している。
2015
年秋にここを訪れた時は途方もない自分の背をはるかに超える葦の藪。まったく先が見通せない。突破はまず不可能。酔狂は自認しているが、命まで懸ける気にはならない。命あっての酔狂である
ここにも標識の跡。
土砂崩れによる斜面に群生するクサソテツ。葦の生い茂る前は彼らが主役。
一把ほど持ち帰る。
今回はその葦が茂る前だから突破しようと思えばできるが、先月来たところで引き返した。
石垣が見える。
桝形隧道出口付近、コンクリートの崩落したその横だが、どうも道らしきものがある。
画像ではわかりにくいが、平らな部分が続いている。確かに道だ。八箇隧道の出口が見えるところに来たが、道は完全に崩落し、途切れている。ここも車が通っていたのかなあ。
すぐには帰らず、寄り道をする。右に細い登りの道がある。
なぜこんな杣道に興味を持ったのかというと、海音寺潮五郎の「天と地と」では長尾景虎が坂戸城主・長尾政景の使者と会ったのが八箇峠となっている。史実かどうかは知らないが、その当時も八箇峠を越えるルートはあったはずだから、出来ればそれがどこなのか知りたかった。もしかしたらこれか?と、急坂の続く細い道を歩いた。 藪道ではない。人の手が入っている。どこかに通じるに違いない。
電信柱がある。電線はない。
道のわきに木の電柱跡。
ブナ林の中にも。
急に開けた道に出た。ここは藪道だが、かつては作業用の車を行き来させていたのだろう。魚沼スカイライン(田沢小栗線)に続くと思われる。その反対のどんづまりに杣道はつづく。
ふいに上が開けた。四角いコンクリートがみえる。上がりきってみると、なんと鉄塔の基礎部分だ。鉄塔はない。
このための路だったか。すこしがっかり。もっとも古道を利用した管理路かもしれない。
地図にない路なので、おおむねルートを描いてみた。緑の線がそれ。